自他共に認めざるを得ない電波でオタクな工学系女子大生のゆるーい日常。
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えぇっと…。
一日中、中学の部活に遊びに行ったら
さすがに疲れましたorz
いやー、でも
楽しかったわぁ^^
久しぶりに、素のテンションになったね(・・*)
ボケとツッコミのある会話は楽しいです(*゚∀゚)
地味に痛いツッコミをありがとう、智佐(笑
尖ったスティックでお腹ぶすぶすされるのは痛かった(泣
Tbも何気に吹いたし、合奏にも参加しちゃいました^^;
だって、先生がいいっていったんだもん(´・ω・`)
にしても、やっぱり部活はいいなぁ…。
で、追記はフリーダム、つまり自由について語ってます。
面白いことは一切書いてないので
興味のない方は、読まないほうがいいと思います。
無駄に長いですから。
一日中、中学の部活に遊びに行ったら
さすがに疲れましたorz
いやー、でも
楽しかったわぁ^^
久しぶりに、素のテンションになったね(・・*)
ボケとツッコミのある会話は楽しいです(*゚∀゚)
地味に痛いツッコミをありがとう、智佐(笑
尖ったスティックでお腹ぶすぶすされるのは痛かった(泣
Tbも何気に吹いたし、合奏にも参加しちゃいました^^;
だって、先生がいいっていったんだもん(´・ω・`)
にしても、やっぱり部活はいいなぁ…。
で、追記はフリーダム、つまり自由について語ってます。
面白いことは一切書いてないので
興味のない方は、読まないほうがいいと思います。
無駄に長いですから。
駄目人間、駄目人間といいつつ
何だかんだで堕ちきらなかったのは
部活のおかげだもんなー(・・*)
三年間、駄目になることもあんまり許されないくらい忙しかったから。
んで
部活楽しいし
Tbも楽しいし
ほとんど毎日部活があって
みんなでワイワイギャースかやって…。
楽しかったんだなー。
いやね、小林T先生ともう一人新しい顧問のT瀬先生と話してて
それで、T瀬先生が
「暇で、遊んで不良になるんだったら、部活や学校にきっちり拘束されて学校の敷地内でワイワイやってたほうがいいんだよ」
っておっしゃってて
あー、そうだったのかもしれないな
と思ったんですよ。
中学生のときの自分だったら
その言葉に反感を覚えたのでしょうけれど
今だったら、なんとなく判る気がしました。
中学生って、子供なんですよね。
いや、まだ高校生だって子供に過ぎないのですけれども
それでも、中学生よりかは自由が与えられます。
西校生なら、なおさら。
西校に入学して、まだ三日しかたってませんが
あー、自由って大変だなー…。
と、しばしば感じます。
けれど、それ以上に、楽しい。
それは、年相応の自由だから。
中学生までは拘束されるくらいがちょうどいい。
そうなのかもしれないな、と思いました。
拘束される意味
自由の与えられる意味
じっくり考えてみると、難しい。
身に余る自由、行き過ぎた自由
それは、ただの苦痛でしかない。
そして、自由とは与えられるものではなく
自分で考えて作るものなのだと思いましたね。
例えば、学校にがっちり拘束されているようでも
結局最後に選択するのは自分なんですよ。
私は、中学校という枠の中で
それこそ「自由」に生活してきました。
自分で選んで、吹奏楽に入り
Tbを希望して
練習をして
大事な後輩に見送られながら
尊敬する先輩に祝福されながら
卒業をしました。
勉強でも、然り。
自分で選んで、西校を目指し
自分が西校に入学したいがために
勉強をしてきたわけです。
それを
当たり前のこと、自由じゃない
と捕らえるか
それは一種の自由だ
と捕らえるか
それは、人それぞれだと想います
けれど、私が言えるのは
中学校で私が思う存分行使してきた自由は
拘束された自由
約束された自由
私の中の絶対的なルールに基づいていない自由なわけです。
つまり、私が言いたいのは
それぞれの場所、時間で
それぞれのいき方があり
それぞれの自由という権利が生まれ
同時に義務というものが生じてくるわけです。
私の中の、唯一絶対のルール
「義務を果たさずに権利を主張することはできない」
ということです。
等価交換、とも言い換えられるかもしれませんが
ちょっと違うかな。
等価交換ではないんです、絶対。
義務の方が大きいこともあれば
義務に対して権利が大きいこともある。
受験に合格するならば、それだけの対価を払わなければならない
そんなこと、ないと思うんです。
世の中って、理不尽じゃないですか。
等価交換は、ほとんどありえないことなんです。
けれど、
権利を主張するならば
まず義務を果たすべきだ。
これだけは、私の中で唯一絶対のルールであり
これこそが、現時点での私の自由です。
どんなに理不尽でも
果たすべき義務は存在する。
西校と他との違いは
その果たすべき義務が学校側から提示されるかどうかだけだと思うんです。
義務を提示されるなら
その義務さえ果たせば
学校側が定めた自由を行使することができるでしょう。
実際、私が中学生のときはそうだった気がします。
けれど、西校はその義務を提示してくれません。
自分で、果たすべき義務を考えて行動しなければならない
そう思うんです。
変わりに、行使できる自由も学校側に指定されない。
そんな、自主自立の意味だと思うんです。
しかし、何度も言うように
世の中は理不尽です。
権利を主張するなら、義務を果たさなければならない
それを逆に言い換えることはできないのです。
義務さえ果たせば、権利を主張できる
そうではないのです。
あくまで、義務を果たすことは権利を主張するための最低限の行為であり
絶対の行動ではないのです。
権利を主張するときに
いろんな要因だって絡んできます。
権利を主張することを仮に自由だとするならば
なんて、難しくて、複雑で、やっかいなのだろうと
そう、思いますけれど
自分は、知っています。
拘束される自由の無意味さを。
自分で意味も理由も考えず
提示された義務をこなし
約束された権利を主張するのは楽です。
ものすごく、楽で簡単です。
けれど、それに何の価値があるのでしょうか?
自由が自分で考えて作り出すものならば
価値は自分で見出すものです。
自分で考えて行動し義務をこなし
その上で手に入れた自由に
最高の価値を見出せたならば
それ以上にすばらしいものはないと思いませんか?
それができる学校が、西校だったわけですね。
そして、こんな風に考えるようになったきっかけは
他でもない、吹奏楽やTbとの出会いです。
Tbは私が心から打ち込みたいと思える
数少ないものです。
自分は、淡白な性格というか無関心な所があるので
あまり、打ちこめるものってないんですよね。
それに、中一のときは自分自身にも無関心だったので
余計になかったですね。
でも、Tbは気がついたら昔じゃ考えられないほどのめりこんでいて
芋づる式に、あぁ、私はこんなのが好きだったんだ
と、少し自分に関心を持つようになって
そして、拘束された自由で満足していた自分に気付いたわけです。
でも、そのときは拘束された自由で満足だったからそれでよかったんです。
満足できなくなったのは、第二回定期演奏会がきっかけでした。
当時二年生の私たちが中心となって
拙いながらも作り上げた定期演奏会
定期演奏会は学校そのものとはあまり関係がありませんから
義務も権利も自分たちで考えなければならなかったわけです。
そうやって「自分たちで」作り上げた定期演奏会
ものすごく、楽しかったんです。
第一回のときは、ただ指示されたことをやるだけで
定期演奏会そのものに意味も価値も感じなかった
けれど、第二回は自分たちで考えて作ったから
価値を感じた。
自分たちの定期演奏会だって実感できた。
吹奏楽が好きで、演奏が好きで
それを聞いてもらいたい
そう、思えた。
意味と価値を感じた。
その時「自分から」掴み取る・作り上げ・考える
そのことに意味と価値があることを知って
拘束された自由にはそれが少ないことを知って
満足、できなくなった。
すばらしい経験、すばらしい思い出
そんなものを欲するようになった。
そのために、義務と権利、自由、自主自立
そんなことを考えるようになって
今現在にいたるわけです。
だからこそ、中学校時代が愛おしい。
本当に、中学校時代というのは私の中でとても大きなものなんです
変わるきっかけをたくさんくれた
大事な事にたくさん気付かせてくれた
大事な人がたくさんできた
そんな、三年間。
私も、ずいぶん変わりました。
中学校でそんな時間を過ごせた自分は
とても幸運だったのだと思います。
自主自立の西校で
今度もそんな三年間を過ごしたいです。
今日、部活でがんばる後輩達をみて
T瀬先生の一言を聞いて
西校に入学してみて
担任の先生から励ましの言葉をもらって
そんなことを改めて感じました。
また少し、自分を好きになれた気がします。
そして、また、三年間をがんばろうと思いました。
周りに合わせるんじゃなく
焦るのでもなく
深呼吸して
肩の力を抜いて
もっと、もっと
中学時代で手に入れたものを胸に懐いて
「自分らしく」
それで、いいのだと
自分らしい自分を好きになってもらうことが大切なんだと
決意を新たに明日はスプリングバケーションの準備です。
今日、中学校に遊びに行ってよかったな。
見失ってた自分を、見つけられた気がする。
そうだよ。もっと私は馬鹿だって。
気張ることはないさ。
もう少し、自分らしく生活します。
何だかんだで堕ちきらなかったのは
部活のおかげだもんなー(・・*)
三年間、駄目になることもあんまり許されないくらい忙しかったから。
んで
部活楽しいし
Tbも楽しいし
ほとんど毎日部活があって
みんなでワイワイギャースかやって…。
楽しかったんだなー。
いやね、小林T先生ともう一人新しい顧問のT瀬先生と話してて
それで、T瀬先生が
「暇で、遊んで不良になるんだったら、部活や学校にきっちり拘束されて学校の敷地内でワイワイやってたほうがいいんだよ」
っておっしゃってて
あー、そうだったのかもしれないな
と思ったんですよ。
中学生のときの自分だったら
その言葉に反感を覚えたのでしょうけれど
今だったら、なんとなく判る気がしました。
中学生って、子供なんですよね。
いや、まだ高校生だって子供に過ぎないのですけれども
それでも、中学生よりかは自由が与えられます。
西校生なら、なおさら。
西校に入学して、まだ三日しかたってませんが
あー、自由って大変だなー…。
と、しばしば感じます。
けれど、それ以上に、楽しい。
それは、年相応の自由だから。
中学生までは拘束されるくらいがちょうどいい。
そうなのかもしれないな、と思いました。
拘束される意味
自由の与えられる意味
じっくり考えてみると、難しい。
身に余る自由、行き過ぎた自由
それは、ただの苦痛でしかない。
そして、自由とは与えられるものではなく
自分で考えて作るものなのだと思いましたね。
例えば、学校にがっちり拘束されているようでも
結局最後に選択するのは自分なんですよ。
私は、中学校という枠の中で
それこそ「自由」に生活してきました。
自分で選んで、吹奏楽に入り
Tbを希望して
練習をして
大事な後輩に見送られながら
尊敬する先輩に祝福されながら
卒業をしました。
勉強でも、然り。
自分で選んで、西校を目指し
自分が西校に入学したいがために
勉強をしてきたわけです。
それを
当たり前のこと、自由じゃない
と捕らえるか
それは一種の自由だ
と捕らえるか
それは、人それぞれだと想います
けれど、私が言えるのは
中学校で私が思う存分行使してきた自由は
拘束された自由
約束された自由
私の中の絶対的なルールに基づいていない自由なわけです。
つまり、私が言いたいのは
それぞれの場所、時間で
それぞれのいき方があり
それぞれの自由という権利が生まれ
同時に義務というものが生じてくるわけです。
私の中の、唯一絶対のルール
「義務を果たさずに権利を主張することはできない」
ということです。
等価交換、とも言い換えられるかもしれませんが
ちょっと違うかな。
等価交換ではないんです、絶対。
義務の方が大きいこともあれば
義務に対して権利が大きいこともある。
受験に合格するならば、それだけの対価を払わなければならない
そんなこと、ないと思うんです。
世の中って、理不尽じゃないですか。
等価交換は、ほとんどありえないことなんです。
けれど、
権利を主張するならば
まず義務を果たすべきだ。
これだけは、私の中で唯一絶対のルールであり
これこそが、現時点での私の自由です。
どんなに理不尽でも
果たすべき義務は存在する。
西校と他との違いは
その果たすべき義務が学校側から提示されるかどうかだけだと思うんです。
義務を提示されるなら
その義務さえ果たせば
学校側が定めた自由を行使することができるでしょう。
実際、私が中学生のときはそうだった気がします。
けれど、西校はその義務を提示してくれません。
自分で、果たすべき義務を考えて行動しなければならない
そう思うんです。
変わりに、行使できる自由も学校側に指定されない。
そんな、自主自立の意味だと思うんです。
しかし、何度も言うように
世の中は理不尽です。
権利を主張するなら、義務を果たさなければならない
それを逆に言い換えることはできないのです。
義務さえ果たせば、権利を主張できる
そうではないのです。
あくまで、義務を果たすことは権利を主張するための最低限の行為であり
絶対の行動ではないのです。
権利を主張するときに
いろんな要因だって絡んできます。
権利を主張することを仮に自由だとするならば
なんて、難しくて、複雑で、やっかいなのだろうと
そう、思いますけれど
自分は、知っています。
拘束される自由の無意味さを。
自分で意味も理由も考えず
提示された義務をこなし
約束された権利を主張するのは楽です。
ものすごく、楽で簡単です。
けれど、それに何の価値があるのでしょうか?
自由が自分で考えて作り出すものならば
価値は自分で見出すものです。
自分で考えて行動し義務をこなし
その上で手に入れた自由に
最高の価値を見出せたならば
それ以上にすばらしいものはないと思いませんか?
それができる学校が、西校だったわけですね。
そして、こんな風に考えるようになったきっかけは
他でもない、吹奏楽やTbとの出会いです。
Tbは私が心から打ち込みたいと思える
数少ないものです。
自分は、淡白な性格というか無関心な所があるので
あまり、打ちこめるものってないんですよね。
それに、中一のときは自分自身にも無関心だったので
余計になかったですね。
でも、Tbは気がついたら昔じゃ考えられないほどのめりこんでいて
芋づる式に、あぁ、私はこんなのが好きだったんだ
と、少し自分に関心を持つようになって
そして、拘束された自由で満足していた自分に気付いたわけです。
でも、そのときは拘束された自由で満足だったからそれでよかったんです。
満足できなくなったのは、第二回定期演奏会がきっかけでした。
当時二年生の私たちが中心となって
拙いながらも作り上げた定期演奏会
定期演奏会は学校そのものとはあまり関係がありませんから
義務も権利も自分たちで考えなければならなかったわけです。
そうやって「自分たちで」作り上げた定期演奏会
ものすごく、楽しかったんです。
第一回のときは、ただ指示されたことをやるだけで
定期演奏会そのものに意味も価値も感じなかった
けれど、第二回は自分たちで考えて作ったから
価値を感じた。
自分たちの定期演奏会だって実感できた。
吹奏楽が好きで、演奏が好きで
それを聞いてもらいたい
そう、思えた。
意味と価値を感じた。
その時「自分から」掴み取る・作り上げ・考える
そのことに意味と価値があることを知って
拘束された自由にはそれが少ないことを知って
満足、できなくなった。
すばらしい経験、すばらしい思い出
そんなものを欲するようになった。
そのために、義務と権利、自由、自主自立
そんなことを考えるようになって
今現在にいたるわけです。
だからこそ、中学校時代が愛おしい。
本当に、中学校時代というのは私の中でとても大きなものなんです
変わるきっかけをたくさんくれた
大事な事にたくさん気付かせてくれた
大事な人がたくさんできた
そんな、三年間。
私も、ずいぶん変わりました。
中学校でそんな時間を過ごせた自分は
とても幸運だったのだと思います。
自主自立の西校で
今度もそんな三年間を過ごしたいです。
今日、部活でがんばる後輩達をみて
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そんなことを改めて感じました。
また少し、自分を好きになれた気がします。
そして、また、三年間をがんばろうと思いました。
周りに合わせるんじゃなく
焦るのでもなく
深呼吸して
肩の力を抜いて
もっと、もっと
中学時代で手に入れたものを胸に懐いて
「自分らしく」
それで、いいのだと
自分らしい自分を好きになってもらうことが大切なんだと
決意を新たに明日はスプリングバケーションの準備です。
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性別:
女性
職業:
大学生
趣味:
創作全般、文化人類学
自己紹介:
電波でオタクな情報工学系女子大生。
でも数学物理が壊滅的に出来ない。
国語と英語さえ出来れば生きていけると思ってる。
ダイガク.TVの特別chに所属しております^^
webデザイナー志望。
SNSやプログラミングなんかにも興味あります。
とりあえずは映像製作学ばなきゃなー、なんて。
音楽大好き
吹奏楽管弦楽から民族音楽、ラウンジ、邦ロック、ゲーム音楽、ボカロまで大好き。
洋楽にも手を出してみたい今日この頃。
常にお勧めアーティスト情報募集中。
一応ボントロ吹き。
気がついたらテナー、テナーバス、バスの三種類制覇してた。
猪突猛進という言葉がぴったりな性格らしい。
本人、そんな気はあまりしてないんですけどね!
ていうかもういっそ元気と紙一重の騒音レベル。
声量だけは有り余ってます……orz
でも数学物理が壊滅的に出来ない。
国語と英語さえ出来れば生きていけると思ってる。
ダイガク.TVの特別chに所属しております^^
webデザイナー志望。
SNSやプログラミングなんかにも興味あります。
とりあえずは映像製作学ばなきゃなー、なんて。
音楽大好き
吹奏楽管弦楽から民族音楽、ラウンジ、邦ロック、ゲーム音楽、ボカロまで大好き。
洋楽にも手を出してみたい今日この頃。
常にお勧めアーティスト情報募集中。
一応ボントロ吹き。
気がついたらテナー、テナーバス、バスの三種類制覇してた。
猪突猛進という言葉がぴったりな性格らしい。
本人、そんな気はあまりしてないんですけどね!
ていうかもういっそ元気と紙一重の騒音レベル。
声量だけは有り余ってます……orz
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